2015年6月21日日曜日

天仰

父の命日であったため、今週末は実家に出向いておりました。

あれから4年・・・と考えると、時間経過の体感速度は尋常ではありません。

常に他者の尺度で裁かれてしまう日々、これに応える為の具体的な果実につながらないこれまでの年月は、時間の経過に追いつかない自身の成長に聊か無力感を感じる日々でもありました。

しかしこれに俯く事は、今はもうあまりなくなったような感じがします。


墓前で手を合わせながら、数年前に、己がこう呟いたことを思い出しました。

道は常に登り坂なので前を見て生きていると地べたばかりを見る事になる。
ところが地べたに希望は落ちていないらしい。なので上を向いて歩くわけだが、お陰で転んでばかりだ。
だがそれを認められると、いよいよブレなくなる。もう少し。

成る程自分には他者に評価され、輝ける道を往ける様な自信など全くと言って良いほどありません。きっと不細工な生き方と感じられることでしょう。

だが他者が描く満たされた私のイメージに、一体何の意味があろう。

人の承認に執心することなく、一歩引いたところから俯瞰し、自分と、人のありのままを、ただ見て知る。そうして積み重ねてゆく1日1日に、"納得感"という果実は確かに享受出来得るものなのであります。

父にそのようなことを報告しました。

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