2014年11月30日日曜日

パソコン修理

「実家のパソコンが故障した。なんとかせい。」

そんな話が先週持ち上がったため、今週末はその対応。
機種はShuttle製のベアボーンにCPUやらメモリやらを組み込んだオーソドックスな自作構成です。
故障の原因究明も自作ならではのパーツごとの切り分けが可能なのでそんなに時間はかからなさそう。

事象としては・・・

パソコンの電源スイッチをON

→ (ファンが一瞬回答するものの・・・)2,3秒後に強制的に電源OFF
   ※モニターには何も映らず

  → パソコンの電源が自動的にON

    → (以下ループ)

・・・というもの。何度やっても再現性があったため固定要因が存在してそうです。

まるでスイッチを押下後、一定電圧に達すると同時に強制シャットダウンされてしまっている・・・かのようです。ですので一番最初の推測としては電源ユニットの故障でした。

しかしながら過去に何度かパソコンのトラブルに見舞われた経験がありますが、電源が故障することなんてそうそう無かったことです。イマイチ腑に落ちない感じでしたが、ネットで情報収集するとポロポロと故障事例が散見されるんですよね・・・。

うーむ。

こういう場合は原因の切り分けとして余っているパーツに差し替えて改善するか否かを確認してゆくのが無駄な出費を抑える王道。しかしながら実家にそんなものが有る筈も無く。

とは言え新しくパソコンを買うのもバカバカしい。
バクチになかもしれない・・・と思いながらも、新たな電源パーツを取り寄せて早速交換してみました。

が。

事象が全く改善せず。

無駄になってしまった出費に凹みつつもマザーボードの故障なんだろうか・・・。とか考え始めたのですが、こうやって根拠なく資材を逐次追加してゆくというのは損害を大きくするだけのよくある失敗のパターン

今一度基本に立ち返り、構成を最小限にシュリンクしてから起動の可否を確認してみました。

(最初からそうしときなさいよ・・・とは言わないで)

まずはマザーボードに刺さっているメモリモジュールを抜いて、しばらく放置(放電)してから1枚だけ挿してみる。

パソコンパーツに触るのが本当に久し振り

すると・・・なんの問題もなかったかのように起動するじゃないですか。

うーん、こうなると考えられる可能性は2つ・・・。

  • 抜き取っている方のメモリモジュールの故障
  • パーツの悪性の帯電

その後モノは試しということで抜き取っていたメモリモジュールを再度取り付けてみると、、、これまた問題なく起動。

ということで、本事象の原因はパーツの帯電による誤作動でした。

今回は帯電ごときで事象再現性の確度がこれほど高くなる、ということ自体が驚き。

それにしてもデジタル製品で有るにも関わらず、アナログな原因で故障することが多いですよね・・・。

2014年11月25日火曜日

那須どうぶつ王国と鹿の湯

今週末の3連休は1日目が実家の法事でしたが、翌日は友人とレンタカーで那須方面にドライブに行ってきました。

ゆるりと非日常をば・・・。



片道は3時間ちょっとだったと思います。
客層はファミリーがメインなのですが、自分が見てもなかなか楽しめるプログラム多し。
というのも動物の可愛さ云々よりも、トレーナーの努力が背景に透けて見えるんですよね。


一般的な動物園と異なり、単純に動物を見るだけではなく、園内の複数の小屋で30分前後のプログラムを見ることが出来ます。これをハシゴしていろいろなパフォーマンスを楽しむことが可能。

基本的には人が触れても大丈夫な動物がメイン。
バードショー、ドッグショー、キャットショー等々。


普段見れない珍しい動物が間近で・・・。


身動きひとつしないハシビロコウ。何かを見張っているかの様。
他にもカピパラやアルパカ等も。きっと女性や子供に人気なんだろう。


猫、犬、兎などと触れ合うスペースも有り。完全に人に慣れており、往来する人の足元でこのように熟睡していたりします。


もう11月も下旬。日が落ちると山の上は息が白くなるくらいの気温。


どうぶつ王国を離れてから鹿の湯に立ち寄りました。事前知識は全くなかったのですが、だいぶ歴史のある温泉のようです。
施設面での小奇麗感は全くなく堅気なおやじとおかみさんが店を切り盛りしている昔ながらの雰囲気(大正~昭和初期位?)がたっぷり。
コンセプトとしてお湯を楽しみやがれコノヤローといった感がヒシヒシと伝わってきます。

ただし温泉自体は自分自身がこれまで入ってきた風呂と次元が異なるとてつもなく気持ちの良いお湯でして、「ああ、お湯って体に染みこむものなんだな」とかつて無い体験が出来ました。これが名湯ってやつなんだねぇ。

その後も風呂から上がって涼んでいると東京では見れない綺麗な星空、帰路の途中で立ち寄った宇都宮で餃子を求めて彷徨ったこと(宇都宮という地方だからなのだろうか、20時過ぎには殆ど全ての餃子屋さんが閉店しちゃってるんですよ)、帰りの車でコンコンと語り合ったことなど色々と記憶に残る一日でありました。

それにしても体に染み付いた硫化水素の匂いが抜けない・・・。

2014年11月16日日曜日

デザインフェスタ vol.40

先週末ですが、時間を持て余していたので東京ビッグサイトで開催されていたデザインフェスタに参加してきました。


このイベントは半年に一度開催されているのですが、実は以前も一度参加したことがあり、実に数年ぶりになります。


イベントの規模としては西館(あの逆三角形の建物)配下全体で展開されており大きめ。
男女の参加比率は男性:女性=4:6といった感じ。



イベントでは自身で作成したアクセサリーや小物、絵画などがメインに展開されています。
オリジナリティあふれるデザイン諸々がそこら中に溢れかえっており、思わず見入ってしまう数多の力作に目眩がする思いです。

特に作成した作品を光と影で巧みにディスプレイしているものや、ダイナミックに表現されたウォールアートなどは一見の価値有りかと。



プロ等による商業的な“儲け”や“媚”の側面はほぼ無く、自分なりの表現、作品を見てもらいたいという純度の高い想いのようなものがこのイベントには感じられ、その点、中学高校の文化祭で美術部等の作品発表といった趣の様なものが継承された超発展形と言ってもよいかと思います。

昔、自分も絵、音楽、ゲームプログラミング等に興じていたことがありました。
その時はつくづく一人の力ではモノづくりに限界があるな、と痛感しましたが、上手い下手、または人に評価されるか否かとは完全に別の不可侵領域において、打ち込んだ情熱と比例して「自分が創りだした」という確かな手応え、嬉しさ、醍醐味をそこには強く感じたものです。

なので今でもオリジナルで勝負している人、表現を試みる人を見ると僕は無性に応援したくなるのです。

そんなことを思いながら自分はお土産にこんな絵を一枚買ってみました。


ファンタジーRPGのパッケージイラストを彷彿とさせてくれますが、自分は色彩感豊かで綺麗だなぁ、と感じました。お値段300円也。ふむ。

2014年11月9日日曜日

iPadAir2

APPLEのiOS8において幾つか追加された機能があるのですが、その中でもiPhone6を使い始めてから魅力を感じる機能がありました。

  • 電話をiPhoneを経由し、iPad、MACから使用することが出来る
  • SMS,MMSをiPhoneを経由し、iPad、MACから使用することが出来る



これ。

自分はこれに“理想”に向けた僅かな前進を感じます。

自宅にいるとき、iPhoneって大抵部屋の端の方で充電中だったりするんですよね。
このため電話やメールを受けた際、ケーブルに繋がったiPhoneを触るのがどうにも億劫です。

わざわざそこまで自分が移動して情報を確認するっていう面倒臭さがどうにも腑に落ちない。

端末に情報を受診するまで様々な技術で頑張っているのに、受信者がそこにアクセスするまでの、この妙な前時代感、というかアナログだなぁ・・・つくづく思うんですよ。


野菜買ってるんじゃないんですよ?


スマートフォンはモバイル機器ですが、自分が家の中で手しているのはタブレット

なので「最低でも」タブレットを触っている時に改めてiPhoneを触ることなく、そのまま電話の受け答え、メールの送受信ができれば・・・って思うわけです。

今回はその点で小さいながらも大きな一歩ですよね。



“そもそも”情報の送受信のあるべき姿として、自分はこう考えています。

本来、電話であれメールであれネットの情報であれ、「得たい情報を確認する」という目的のために別途道具を介するのはおかしい

進化の余地があると。

情報は、自分が受け取る意志を持った時点で、自分がその内容を頭の中に認識出来ていれば良いんです。道具・手段を要さずに目的が達成できる方が絶対に理想的。


人の移動に例えるならば、目的地に至るために、徒歩、車、鉄道、飛行機、果てはどこでもドアが使えたとしても、瞬時に移動できるのであれば、あらゆる手段は廃れるのが必然かと。
似た話で既に顕在化しているものとして、音楽を聴くという目的のためにCDは必要ではなかったという話にもつながるかもしれません。

だから本当は使わずに済むのであればiPhoneもiPadも無い方が良いと思うのですよ。

・・・

そんなことを考えながらiPadAir2を購入しました。

世界は一枚で変る。

今の時代が生み出す情報端末およびデザインの精一杯の贅の極み、富の上澄み液であります。

2014年11月3日月曜日

日大理工学部学園祭2014

昨年に引き続き、3連休中に母校の学園祭があるということで出向いてきました。
前回はおよそ10年のブランクがあったので随分とノスタルジーな感がありましたが、今回はあまりそういうことはなく、「仲間と飲める」という、どちらかと言うとワクワク感のほうが強かったような気がします。


というか、結果としてはよくつるんでいた3人と研究室で随分飲んだ、じゃなくて(かなり)飲み過ぎてしまい、3連休中の半分以上は二日酔い+αで潰してしまったような感じでした。

自分が普段お酒を飲む機会といえば・・・

  • 会社での半強制的な付き合い
  • 自宅で一人飲み

・・・くらいでしょうか。

というか、最近は健康志向と体がアルコールを然程受け付けないこともあり、昔は何故あれほど無茶な飲み方をしていたのかさっぱり分からなくなっていた位です。

ですが去年今年とベロンベロンに酔ってみてその辺が理解出来たような気がします。

「話を聞いてくれる人がいて楽しいから」

根本はこれですよね。理屈じゃなくて感情

別に理解してくれなくても良いから、俺の話を聞いてくれ。話をさせてくれ笑ってくれ的な。居場所をくれ的な。

まぁ周りは迷惑なんだろうが、自分と似た境遇である程度の理解が得られて、(身をわきまえた上で少しだけ)迷惑をかけられる人がいるって本当に重要じゃないですか。

こういう重要な事が「非日常」ってことに、何か釈然としないまま歩み続けている30代半ば。
自分の今見ている風景ですが、果たしてありふれているのだろうか。


俯向かずに生きるために、毎日を俯向かざるを得ない悲しさたるや。


・・・

あ、それと自分の研究室の展示などは全く見てないのですが、鉄道研究会のNゲージとプラレールは今年も凄かったです。