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2017年1月4日水曜日

映画「この世界の片隅に」

新年が開けて少し時間が空いたため、池袋で映画鑑賞です。


最初に作品の概要を耳にした際は、太平洋戦争末期、歴史上でも屈指の大量虐殺が執り行われた広島及び軍港を有する呉が舞台、ということで、終始凄惨な作品なのだろうな、と少し身構えていました。

このような背景を持つ作品では大昔に見て強く記憶に残った火垂るの墓を見た以来、ということもあるのでしょう。(主人公の劣悪な境遇を強調するためなのだろうか、やたらと意地悪なキャラクターが登場するんだよね)
正直あまり見ないジャンルですし、このポスターに描かれている屈託のない表情を浮かべる“すず”を見ると、否応なしにそのような想像が加速されちゃうんです。

この作品を上っ面だけをサラッと観ると…
“日々を懸命に生きてささやかな日常を成立させている”
“そのような日常を「戦争」が踏みにじる”
そして、
“どう思う?戦争は良くないよ!”
…といった感じでした。

「日常の傍らに当たり前の様に『死』が息を潜めている」

このような時代背景を幅広い年代層(小学生から大人世代)に伝えるための方法としては、これくらいシンプルじゃないと手にとってすらもらえないかもしれませんね。

2016年4月17日日曜日

映画 「A Beautiful Mind」


先に結論を言ってしまうと、自分はこの作品が(皮肉無しに)大好きであります。

まず、この映画の主人公であるジョン・フォーブス・ナッシュはアメリカの天才数学者。
専門分野は微分幾何学であり、ゲーム理論の解の一つであるナッシュ均衡(もし興味があれば囚人のジレンマなどのお話と併せてサッと触れられるのをお勧めします)を導き出した功績で、1994年にノーベル経済学賞を与えられている。

この光の側面の裏側には彼が患っていた精神疾患(統合失調症)との闘いがあった・・・、という物語。

物語の描写としては、統合失調症を患いながらも妻のアリシアが葛藤しつつも献身的に支え、結果として復調してゆき、最後にはノーベル賞を得るという美談としてまとめられている。

しかし現実的には精神疾患を患った者の生き様が美談で纏まるはずはなく、実際は・・・
  • 看護師との不倫&隠し子
  • 同性愛者
  • アリシアとの離婚(最終的にはよりを戻す)
・・・という感じであったらしい。
(この辺りを知ると、その人間臭さにまみれた経歴から超人離れしたイメージがそれなりの着地を見る)

但しこれを史実と異なっていると目くじらを立てるのは野暮というものであろう。ここは葛藤と探求の末に栄光をつかんだ老人の若かりし頃の苦労話に耳を傾けてみようではないか。そして心中“そもそも精神疾患を患いながら生きるものの足掻きを知らない者に何を描けるのか”、とシニカルさを以って、アカデミー賞やらゴールデングローブ賞界隈を総なめしたという逸品を有り難く観て差し上げる、というのが生きる上での確かな処し方を心得た大人の振る舞い方だ。映画はエンターテインメントなのだから。

サントラのSACD版とCD版

それでもね、アリシアが献身的に尽くしたという実に男に都合の良い存在である筋書きが気に入らない。男の自分が思うのだから、女性であればなおさらだろう。
だいたいほぼ初対面の女性に対し「セックスがしたい」発言だの、結婚後の赤ん坊をバスタブに水没させそうになったエピソードだの、幻覚との対話により鬼気迫る勢いでただ頭を抱えちゃうとか、今日日セクハラとDVでポリス沙汰、精神病院に強制収監になっても何の不思議もないそれらの事件を、まるで共に乗り越えてきたちょっと高めのハードルだったわね、とセピア色の思い出に昇華しそうな、作品から醸し出される異臭に聊か気を失いそうになる。これはラブストーリーではなかったのか。SFなのかと。

映画を見た多くの人はこう言います。

「アリシアのあのセリフ“I need to believe, that something extraordinary is possible.(私は信じたいの。何か信じられないくらい大きな事も可能なんだと。)”にグッときたわ!」

ちょっとキツいシーンの後に来るこのセリフの言い回しだけは確かに綺麗である。そこは認める。(というかアリシアを演じていたジェニファーコネリーが綺麗なのか)
その綺麗さ故にこの手の感想を述べられる多くの方は、不用意に自分の内側の綺麗な部分をアリシアのこのセリフに投影してしまうのかもしれない。ちょっと自分に酔ってらっしゃるのではないかと。

そうじゃなくて、この作品の一番の見どころと魅力は、性格や精神疾患で周りから凄く浮いてしまう、気遣われてしまう、普通になれない戸惑い、(でもどこかで)普通でいたくない心持、自身の着地地点が見つからない、誰より純粋な想いはただ溢れるだけで周りに受け入れられるような物言いが出来ない、伝えられないことの絶望感、孤独、薬を飲むと感情の起伏が失われる、思考力がガタ落ちになる、記憶が上手くできない、そしてそれを唯一表現出来るのが眉間のしわと眼孔の影、“へ”の字に結んだ口といった心情の機微が描かれているところ。そしてラストシーンに疾患と幻覚を受け入れながら前進する(病気と共に生きて行く)シーンが曲がりなりにも描かれている、ということなんですね。愛するとか愛されるとか、それどころじゃないこの泥まみれ感が昇華されるところですね。そして総体として振り返ると、懸命に生きようとする者への人生賛歌であり、それ自体がラブストーリーでもあった、というところ。ここが泣けるんです。

分かりますか?